認知科学の入門書として、この本を手にとってみた。
自分にとって「!」なことが要所要所にあって、認知科学に関してもっと知りたい、深堀したいと思えた本。
どんな本?
まず、認知科学って何?というところから、心と脳の関係を科学を通して解釈していく。
今の認知科学の課題、過去の歴史、身近な認知科学など、わかりやすい事例と、
要点をまとめた引用・有名な研究者や科学者と本の紹介もあって、
読んでいるうちにいろんなところに興味が湧いてくる。
本文ピックアップ
言葉の本質
人の心の働きがもつ最大の特徴の一つは、極めてゆたかでありながら全体として一貫した性質をもつ、言語の機能が含まれていることにある。言葉は情報の意味を伝達する記号の役割を果たすだけでなく、何かの機能を方言することもでき、別の何かを象徴するシンボルとしてもつかわれる。
ことばは外界からの情報を概念のカテゴリーに切り分ける働きをしていえる。
たとえば、虹。色に関する言葉がたくさんある日本では7色に見えるけれど、そのほかのヨーロッパであれば5色に見える。言葉があるということは、それを認識するということ。
だったら、私自身が言葉を知らないだけで、目に入ってこないこともたくさんあるんじゃ。。何かを知れば、解像度が上がり見えてくる物はたくさんある。それが言葉やシンボル・記号。
「言語」は、人間関係を築き社会の絆を作り出すコミュニケーションの最も基本的な手段にもなっている。
だれにどんな風に、どんな時にどう使えばいいのか?など経験としてだれもが判断しているように、社会性や判断の働きと「言語」は密接に結びついている。
心の進化
ダーウィンの以降、厳しい環境のなかで子孫を残すために高度な知性が発現したというのが、こころの働きの進化に関する中心的な考え方であった。これに対して、1970-1980年代にかけてこころの働きが進化したのは複雑な対人関係や社会人関係のなかで生き抜くためだったという考え方が出てきた。
英国の人類学者ダンバーが、人が関われる集団の大きさは150人程度(ダンバー指数)と言っている。でもネットが一般的になってSNSでの友人は400人1000人なんて普通になった。これからますます IoT時代が進むにつれて、複雑な対人関係や社会人関係のあり方も多様になってくる。時代にあった心の進化はどのようになるのだろう?
ストレスと記憶
強い緊張や不安が続くと、ストレスが昂じてこころの働きが阻害されるようになる。とりわけ虐待や戦争体験などのように極めて強いストレスを受けた後に起こる心的外傷後ストレす障害では、記憶力の働きが低下してしまうことがある。
エピソード記憶の概念を提唱したタルヴィング
エピソード記憶を想起するときに感じられる自分についての意識を自己想起意識
エピソード記憶とは心のなかに自己想起意識が作られる記憶のこと
運動主体感 自分の動きや視覚の動きが自分の動きであるという感覚も自己想起意識の一部
私たちは、他人の気持ちに共感したり、自分の心を感じ取れることができるだけでなく、他人の立ち位置にたったと想定して物を見たり、自分を背後から見たりすることができる。
心のなかで自分の視点や体の方向から離れ、他者からみた視覚の方向や他者の立場にたった体の方向をイメージする働き、つまり自分の心のなかで他者の心や別の立場に乗り移るイメージの働きは、私たちが心のなかで自由な立ち位置から空間を眺め、操作し、空間のなかに入り込むための大切なこころの働きである。
自分ではない誰かの立場になることを想像する。それも人間特有の心の働きである。親や友人や自分が当たり前にしていることも、社会の関わりのなかで柔軟に最適に生きていくために進化したことなんだ、と思うと 私たちはより最適に社会で生きるために心の働きを発達してきたんだなと改めて思う
知覚情報の質と量
表情、声の調子、ジェスチャー、周囲の状況、背景など、相手の感情や意図を推測するのに役立つ情報を直接得て、こころのなかで総合的に処理することができる。これに対してインターネットを会したコミュニケーションでは、限られた時間や空間の枠で切り取られた情報、しかもほとんどは資格と聴覚の情報だけが送られ、受け手のほうえはその限られた情報を頼りに脳のなかで遅れての感情や意図を推測することになる
ネットと直接のコミュニケーションでは意識化の働きが異なる(入力の質が違う)
人は意識しないのにほんのすこしの情報によって自分のこころの状態が正直に相手につたわってしまう「正直シグナル」を発している。
体の動きを限定されると、思った通りに言葉が出てこないという実験もある。身体と思考の繋がりはとっても大きそう。
自分の心の動きは無意識に身体で出力されていて、それも含めて情報として会話している相手に伝わる。「正直シグナル」!こんな面白い言葉があるんだ!最初驚いたけれど、私たちは普通に言葉にできない「何か」を感じ取りながら生きてきてる。会議の空気を読んだり、だれかの機嫌の悪いときを感じとったり、うれしさや興奮が伝わってしまったり。
以心伝心とまではいかないけれど、自分たちで意識できない無意識の情報はとっても多くのことを伝えてくれているんだなと思う。
でもその無意識は、意識しないと一瞬一瞬で流れていってしまうし その仕組みや癖を知らないと なかなか自分の力だけでは気づくことが難しい
だからこそアカデミックな知識を参考にしながら、入力出力をしていくことが必要だなと思った
イメージと身体
体の働きは、環境との相互作用の可能性を広げる
お母さんと赤ちゃんの愛着関係は、そのかなりの部分が お互いの体の動きや体のふれあいの相互作用によって形成されると考えられる。人間とロボットの相互作用を研究している今井倫太らは、人とロボットの間のコミュニケーションが、ロボットが相手の人間とおなじゆなジェスチャーをすることによって円滑に進むことを見出している
ほんとに面白いなーと思ったのは、確かにロボットが人間と同じジェスチャーをするだけで
安心感・親近感を持っていた経験が自分にもある。
ふるまいだけでなくて、コンピューターのエラー文をとっても「ここが違いますよ〜」「完璧です!できましたね!」とか、まるで友人と話しているような言葉で語りかけられると
それだけでとても安心を覚える。
私たちがネット上でだれかと会話している(コミュニーケーションしている)のとなんら変わらない状況で。
それがロボットとなって、身体表現も再現されると 人間とロボットとのコミュニケーションはより愛着のあるものになっていく(いろんな情報を受け取り、発信できる)んだろうなと思う。
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何を思った?
「心と脳」という難しそうな本のタイトルだったけれど 関連文書の紹介や引用もとっても多くて楽しく読めた。認知科学というテーマで、歴史から最近の傾向まで網羅している 入門として適切な本だった。
全体に思ったことは、「心」と「脳」は深く関わりあっていて、私たちの心は「生きる」ために進化してきたしくみなんだということ。
それが時に思わぬ行動をさせたり、心の状態・体の状態が不完全な状態になったりする。
「言葉」という記号を持って、概念を作り出したりコミュニケーションをとったりするけれど
言葉がなかった時代にも有効だった体の動きや微妙なジェスチャーによるコミュニケーションも
とっても多くの情報を含んでいるというととが、当たり前だけれど改めて考えると面白い。
そうそう、「当たり前」を改めて見直すことが今回とっても興味深かったんだと。
自分がどれだけ無意識に判断し、自然にコミュニケーションをとって、体の状態と心の状態をリンクさせながら生きようとしていたのか。
それが「人類特有の進化」という形で、自分の初期機能として備わっていることの不思議さ。
ここは入門だったけれど、またもうちょっと深堀したいなと思えるきっかけになったと思う。
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