生きた彫刻「VESSEL」 彫刻家 名和晃平と振付師 ダミアン・ジャレによる最新舞台

友人がVESSELの舞台撮影、音楽担当などをしていたことと、

その友人が「とてつもないから、見たほうがいい」と言っていたこともあったし

何より名和晃平の作品は、もう10年も前からずっと好きで(とくにPixcelシリーズのインパクトが大きかった)

これは行くべきだ、と思った

参照 http://rohmtheatrekyoto.jp/program/3661/

京都の新名所にもなりつつある、京都ロームシアターで

手をいれられる前の古びた建物といった印象から、一気に歴史ある文化的な施設へと変貌を遂げていて、それも面白かった。ここには蔦屋が入って人がぎゅうぎゅうになっていた。



「VESSEL」を体験した

舞台、というよりも 「動く彫刻」。

そして、舞台を一方的に受け取るというよりは「問われている」という感覚になった。

それは、観た後にもやもやとした 得体の知れない気持ちを残していた


ヘッドレスという顔を腕で巧妙に隠したポーズ

ダンサーは皆、顔を見せなかった。両腕を硬く目の前で組み、肉の塊のように動いていた

頭部を見せない「ヘッドレス」という特徴的なポーズは、性別や出自に匿名性を与え、人ではない「何か」の存在を示唆します。

意図通り、そこには何の意思も持たない塊がうごめいているだけ、といった風景が最初は続いていた

水の弾ける音(舞台は水を張っていて、しぶきが飛び散ったり、水滴で音が作られたりしていた)


最初はカオスのような状態が、いつのまにか秩序だてて動きが揃っていき、一体感が産まれて

自意識を与えられた「生き物」へと進化していったように見えた


最初に強烈だった絵は、ヘッドレスのさらに進化というか

頭部で体を支えたまま逆立ちする姿が7体、ランダムながら秩序をもちながら揺れている姿、、

普通の身体能力では考えられない風景から、強烈な美意識を感じて息が止まった


ここまで純粋に「物質」を感じる作品も無いと思う。

デジタルな技術を持って、非現実な演出や空間作りは結構簡単にできる?(そうでもないかな)ようになってきて、どちらかというと目新しさ、最新技術ばありにフォーカスが当たる傾向がある

けれど、VESSELは ビュアだ


水、肉体、光、音。それだけ。

何の目新しい技術も無い。

のに、見たこと無い空間に入り込んでしまって圧倒的に情報量は多くて追いつけ無い

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講演が終わったあとの、トークショーを少しだけ聴いていて 面白いフレーズがあったのでメモ

人は塊 人は塊でもある液体でもある

水は生命のみなもと 死の行き着く先

黄泉の世界 マテリアル

鳥、獅子、雲 最後は雲の上(死) 神話

水は人間の体にある 体を一つうごかす、照明 角度でいろんなものが現れたり隠れたりする

真ん中の白い舞台は、雲 をイメージしていて、

雲の上は死の世界 その下は生の世界

最後、森山未来が白い液体にまみれて沈んでいく 

あれは生の世界に戻っていく のか? それとも生に死ににいくのか 

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あのインパクトはずっと残っていくだろうな。。


無意識に、潜在的に

芸術家が表現する空間から、はっきりと言葉で伝えられなくても

私たちが無意識的に、潜在的に心に響く何かがあること

名和晃平の作品は、現代的に美しくて、科学的に無機質なのに

どこかに生き物の面影があって、自分の中の記憶を引き出されていってしまうんだよなぁと思う


自分の持っている「コード」をあちこちひっぱりだして 意味を作って 

いつのまにか彼の作品が自分ごとになっている気がする


あと、やっぱり文句無しにかっこいい!

このかっこよさってすごく大切だよな




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あちこちに散らばってしまうモヤモヤや、ふむふむを ランダムに残していく公開メモ 全く明日から使えない非合理主義

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