いつかの女子会(といっていいのか!?w)での話。
この集まりは、UXデザインのセミナーなどで繋がった、バリバリ働きつつ、女性としても魅力的な方々ばかりで、かっこいい。
話すことは、しごともだけれど、家族やライフステージの事もひろーく話せることにとても安心感、、このつながりのありがたい事、、
リアルな言葉じゃない
お酒がはいると、ちょっと真剣なお仕事の話になったりして、こんな言葉がでてきた
「理想を語っても、それってリアルな言葉じゃないから違うと思うんだよね。」
その人曰く、いくらイイ事・正しいとされている事を語っても
そこに実体験がなかったら理想は理想。代理店時代はそうゆうところをよく見てきて。。
でも、行動してみて、実際にやってみて、ギャップを感じたり・手がかりをつかんだり・失敗したりするからリアルな言葉になる。実体験の含まれない言葉で語りたくない。
だから、もっともっとリアルで、実数と近いところを見たくて、代理店からメーカーへと席を移したんだよー
って感じだったように思う。
そしてこの言葉、わたしはすごく響いたのでした。。
たとえば、
理想のカフェを作ろうとしてる人で
雑誌や経営者インタビューを読んで、理想のイメージと知識がある人と
えいやで小さくでもお店を作ってしまって、お客さんと出会い、コーヒーを何度も提供して、失敗したり満足しなかったりする やるせなさ、逆に今日は良かったなぁと感じてる人からの
両方からの発せられる言葉には、明らかな密度の違いがある(密度を感じれる人にはわかるとおもう)
そうゆう風に受け取った。
このふたつの間にはどんな違いがあるのだろう?
「わかったつもり」と「わかろうとしている」の差がそこにはあるのだと思う
「わかったつもり?」
ロフトワーク棚橋さんのブログ「DESIGN IT! w/LOVE」で、
人生とは、わからないものを認識して、それをわかる状態へと移行させる、そのための活動が次々と繰り返される舞台なんだと思う。
そのひとつひとつ活動のスタートとして、自分がわからないものを認識し、そこに注目してみるというのは、最初の一歩として欠かせない。
(引用)知力とは、わからないことをどれだけ考えられるかという度合い
物事は基本「わからないこと」を前提として語ってらっしゃるところ、
また人生の取り組む姿勢として提示されているところに、自分の浅はかさというか、、
「自分もわかったつもりになっていたことが沢山あって、しかも自分の専門でない領域での方がその姿勢はとても多かった」と振り返って感じました。
だから、すぐにわかったつもりになるんではなくって、わからないを認識しわかろうとする姿勢が
まずは最初の一歩として欠かせないのだ、と。
なにがわからないか?を認識する
これって「インタビュー」や「ヒアリング」をするときの姿勢にも現れてくるのだろうと思う
リサーチャーって恐らく、「わからないんです」が前提だから、多面的に知ろうと動く。
本当に本質的なところは、もうちょっと先なのに
本質の手前で「わかった!」と思って、簡単な対処療法をしてしまうこともままあるように感じる。
それが結果として、「安易な回答」をだしてしまって、「理想」に対してわかったつもりでの対応になるんではないだろうか
リアルな言葉で語るには
「リアルな言葉」とは、すぐ目の前にある「安易な回答(How To)」ではなくて、
「私はわからない、だからもっと知りたい」から始まって、実経験を通して「わかる状態へと移行して」語れるものだと思う。
私自身、「リアルな言葉で語る」ことのできることってどれくらいあるのだろう?って問いかけてしまうのだけれど、、
「基本、物事はわからない!しらないことだらけなのだ!」と、改めて初心に戻った気がします。
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