そして、暮らしは共同体になる



読み始めたきっかけ

だれかのレビューでこの本をみかけて、自然と気になって図書館で予約。

共同体、や、集合知、とか、場を共有することで生まれるもの、に興味があったので

とにかく手当たりしだいに予約攻めしていたものに一つ。

最初は地域での暮らし、とか、コミュニティの作り方、とか

そういった本かなぁくらいにしかおもっていなかったけれど、

読んでみて驚いたのは、地域とか狭い分野ではなく、

経済・IT・社会問題・家族・コミュニティなどなど、、

かなり広く、でもわかりやすく、そして楽しく(美味しく)書かれていたこと。


そしてどこかに「自分のことなんじゃないか?」と思えるような、

身近なキーワードが隠れていて

今の時代に生きているならば、いろんな人が「暮らし」に関して共感をできる内容なんじゃぁないだろうか


どんな本?

ITから政治・経済・社会・文化・食まで、幅広いジャンルで活躍している著者が、今回テーマに選んだのは「暮らし」。「持たない暮らし」「ミニマリスト」「街に暮らす」「シェア」など、暮らしにまつわる幅広いトピックスを取り上げ、過去・現在・未来の分析や考察をやわらかで軽快な語り口で展開します。わたしたちの心地よい暮らしを支えている企業、テクノロジー、文化、そして共同体など、横へとゆるやかにつながっていくこれからの暮らし方について、考えるきっかけに。

(出版社コメントより)

まさにこんな内容でした


引っかかっている言葉たち

全体的に企業の人々(Oisixや暮らしの道具店の社員さんなど)の

インタビューや対談を元に書かれていて、その人たちの対談から派生する形でのエッセイ

その中から、なるほどなぁとか そうかぁと感じた言葉たちと、感想を交えてみる。


ささやかな日常の行為をした共感世代のデザイン 

キーワードは、日常、共感。

Oisixの方々の話の中から。

 一般的には食事の為の買い出しは、タスクのようなものになっているけれど

Oisixの食材通販の体験はそれを少し超えていて 

「たのしみだなぁ」「わくわくするなぁ」といった気持ちが付随していく。


 食事を出したお母さんが家族に「このトマトはね、こうやって作られてるから甘いらしいよ」

 って嬉しそうに話すとき 

食事に物語が生まれて、食卓の話題になる。コミュニケーションの種になる。

 いつもの日常から「ちょっとだけ特別」を食を囲んだ人たちと分かち合える。


 実際私もOisixを利用したことがあって、
期待してたよりもずっと良い食材が届いたし、

実際美味しくて、食事に関する話題は「食材」からはじまったりしていた。 


「食文化」って、家庭においてはその家独自の文化が出来上がっていて(意識も含め) 

母のこどもに対する思いを食で表現したりとか、気遣いとか、愛情とか、分かち合いとか
食はいろんなシーンを包み込む、人として本質的な行為だよなって思う。 


「美味しいものがたべたい」っていう短期的な快楽、も食にはあるんだけれど 

それ以外にも、子供が健康に育つように、とか、

ちょっと風邪気味っぽいから消化にいいものを、とか
これをあの人におすそ分けしたら喜んでくれるかな、とか。

共に食す人、が食文化を育ててきたんだよな、、とかとか感じたりして。

 Oisixがシンプルに伝えてた「コミュニケーションの種」といっているのは、 

食自体がコミュニケーションだと解釈されているからなんだろうか


ノームコア 

SNSが生まれて外も中も、透明性が生まれてきて

日常をきちんと構築していれば信頼関係が生まれるようになってきた。

個性を際立たせ、目立つことが必要なくなってきたのは、日常を大事にする。

 

ゆるゆるを提供する

めんどうごとを排除し、気負いなく、過剰にもならず、いまこの瞬間を楽しめるようにすること 

ー企業が顧客に提供するのは過剰なサービスなのではなく、 

企業も人々も同じ対等な立場で相互作用によって連携していく。


 開かれたネットワーク的な関係を育てていく 

「外へ、外へ」「上へ、上へ」ではなく「横へ、横へ」の広がりを持つことで、 

改めて共同体としての原点回帰をしはじめている。 


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これに加えて個人的には「深く、深く」もあると思う。

 自分の立っている場所を深ーくほりさげて掘り下げて、

そこから横に広がれることもで深みのある理解を示せたり、

深さのレベル差は共同体の中でもあるだろうなって思う。 


誰になるかではなく、誰と一緒にいか「to be with anyone」 

憧れる立派な何者かになるのではなく、好きな人たちと一緒にいられる

それを実現することこそ大切だ、といった価値観


普通であることで解放感を得られる」、というのは的を得た表現だなぁ、、と思う

個性的になろうとする行為こそが、もう個性的じゃないやんって話。 

アンチ大衆を意識している時点で、大衆に飲み込まれてる、

だったらそれはなんのための個性なんだろう? 


共同体への回帰に感じること

がっしりと繋がってはいないけれど、緩やかなつながりを複数持っていることは

個人的にはリスクを分散できる、と考えている。

強固で深い繋がりよりも、やわらかく柔軟な繋がりが今広まっているのは

「外ではいつも一人だから家に帰ったときくらい仲間といたい」と言っていた人の

「一人だから」と表現した気持ちは、いろんな人の中にも同じように感じ取られているからだと思う。


すぐに頼れることって実はとても安心するし、いくつもあることで自分の知らない考え方やアイディアを知ることができる。

個性的であろうと尖る必要もなく、注目を集めようと頑張らなくても

日常をきちんと過ごし、分かち合いながら生きていけば、ちゃんと信頼関係は築けていけるのだ、と。

インターネットによって個人や企業が透明になってきたからこそ、

サービスは与えられるものではなくて共に作り上げる「文化」として発酵させていくことが「これからの暮らし」にマッチしている


自分の暮らしを振り返ってみて、共同体としての自分、を感じたときに

確かに「分かち合える幸せ」や「与えられる幸せ」を体験した。







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