竹岡雄二 台座から空間へ

京都の美術大学を卒業後、ドイツに渡って再び美術大学で学び、数年後の 1980 年代初頭から本格的な活動を始めた竹岡雄二(1946 年生まれ)は、彫刻を置く台である台座を作品の地位に引き上げた「台座彫刻」によって、美術家としてデビューを果たしました。
以後、「台座彫刻」を中心に「空間呈示」という独自のコンセプトを着実に展開させてきました。台座とは、彫刻作品を置くためのものですが、竹岡の「台座彫刻」は「作品を置くため」という台座の属性を与えた自律した作品です。造形上は、様々な素材や色彩による、ミニマルな形状をしたものです。 
竹岡の意図は、設置された時に初めて完遂します。鑑賞者に、作品の不在性を意識させ、ものを見ることや、展示空間へと思考を促します。竹岡は、個性が刻まれた作品ではなく、作品を呈示すること自体を探究してきました。 
ミニマルアートの巨匠・ドナルド・ジャッドからも影響を受けているとのこと。
実は全然知らなかったけれど、今回の展覧会で初めて見に行った。
何も置かれてない台座。が、あちらこちらに
それを観客はまじまじと見てる、空虚?空白を見ているようで
滑稽な雰囲気が流れる。
私たちは一体、何を見ているんだろう?




国立国際の地下1階フロアに どーんとあったこの作品
それを取り囲んで見る人たちが居て、それを見ていて。
空白をジーっと見ている不思議な空気が流れていたのが印象的でした
何も「置いてい無い」空間を作り出している台座。
台座があることで「何かが存在していた」という感じ。。

台座としての精度はとても高い、と主人は言っていた
物としてもとても研ぎ澄まされた物なんだ。
「無い」ことがが、逆に「有る」ことを感じてしまう。。
この不思議な気分は何だろう?

作品の個性・作家の個性を刻まれた物でなく_
無個性に徹することで、存在や行為自体の問いかけになっている
そうゆう作品に心が動いてしまーう
いい展示だった と記憶に残る

urushi-note

あちこちに散らばってしまうモヤモヤや、ふむふむを ランダムに残していく公開メモ 全く明日から使えない非合理主義

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